映画監督になるには様々な方法がありますが、必要な資格などはありません。
強いて言うなら才能でしょうか?
しかし、そんなものは誰にも測れないものですので気にするだけ無駄ですね。
この記事では、実際に映画監督として活躍する人を例に出して、映画監督になる方法を解説いたします。
映画監督になるには?
かつて映画のスタッフを映画会社がすべて抱えていた時代は、下積みとして助監督を経験して映画のノウハフを学び、監督へと出世していくという流れが普通でした。
しかし、現代の映画製作の現場ではスタッフはほぼフリーの人材を集めて製作するという状況なので、必ずしも助監督を経験する必要はありません。
むしろ、助監督は監督へのステップアップではなく助監督という一つの仕事として助監督のみを仕事にしている方が増えているようです。
それでは実際に映画監督として活躍している人たちの経歴を参考に、どのような方法で映画監督になっていくのかを見ていきましょう。
自主制作映画で受賞する
アマチュア時代から大学のサークルや仲間を集めて自主製作映画を製作し、自主製作映画祭で賞をもらうなどしてデビューするという方法があります。
総じて、自主製作映画出身の映画監督は奇人変人が多いです(個人的感想)。
上田慎一郎
『カメラを止めるな!』で一躍有名監督となった上田慎一郎監督は、アマチュア映画界では何度も映画賞を受賞するなど有名な存在でした。
上田さんの場合は、特に大学や専門学校で映画の知識や技術を学んだという経歴はないようです。(専門学校には入学したもののすぐ辞めたらしいです。)
完全な我流で映画を撮り続けて成功した人物です。
借金を抱えて小説を自費出版したり、ホームレス生活をしたり、人生そのものが映画の糧となっているのではないかと思います。
庵野秀明
『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズ、最近では『シン・ゴジラ』でも総監督を務めた人物です。
大阪芸大在籍時の仲間たちと参加したサークルをベースに、アニメーターを経て『GAINAX』を立ち上げました。

(アオイホノオ6巻より)
漫画『アオイホノオ』で学生時代の様子の一部が描かれています。
ちなみに庵野秀明氏は大阪芸大を除籍となっていますが、アニメーターとしての仕事に専念するためだったようです。
風呂に1年も入っていなかったり、ずっと同じ服を着続けたりと、使える時間はすべて作品制作に捧げる人だったようです。
園子温
『愛のむきだし』『冷たい熱帯魚』『新宿スワン』などで監督を務めた園子温監督の経歴もかなり特殊です。
17歳で詩人としてデビューしたあと、大学進学と共に状況し、23歳で『俺は園子温だ!』という自主製作映画を撮っています。
その後も映画を撮り続けながら、街頭パフォーマンス集団『東京ガガガ』を結成するなど奇天烈な活動もしています。
映画監督としての才能が世に認められているからこそ良いですが、『東京ガガガ』の街頭パフォーマンスは見てて本当にイタイです(笑)
以上のように、どこかに就職するなどすることなく自力で映画監督としてデビューする人もいます。
しかし、協力してくれる仲間を集められるほどの才能・実力・カリスマを兼ね備えている必要があるでしょう。
自主製作映画からのデビューは、一歩間違えればただの変人・ヤバい人で終わりかねないような天才肌のルートと言えます。
CM制作会社で下積みをする
自力でメンバーを集めたり、借金をして映画製作をする以外には、やはり映像制作会社に就職するというのがベストな方法だと言えます。
CM制作会社を経験し、映画監督となった方を紹介します。
中島哲也
『下妻物語』『告白』『渇き』などで監督を務めた方で、CM制作会社を経て独立し映画監督となっています。
大学時代には、映画研究会に属し自主製作映画も撮っています。
CMディレクターとしては多数のヒットCMを作っており、CM界の巨匠と呼ばれているそうです。
映画では『告白』で日本アカデミー賞最優秀監督賞・最優秀脚本賞を受賞しています。
吉田大八
『桐島、部活やめるってよ』『紙の月』などで監督を務めた方です。
CM制作会社ティー・ワイ・オーで20年間CMディレクターとして数々のCMを手掛け、ミュージックビデオ、テレビドラマなどの演出もしています。
映画では『桐島、部活やめるってよ』が一世を風靡しました。
個人的に、CM出身監督の作品は好きなものが多かったです。
CMという「限られた時間の中で印象を与えなくてはいけない」という映像を制作する中で、映画監督としてのセンスが磨かれるのでしょうか。
もしくはCMディレクターとして成功するようなセンスの持ち主は、映画でも成功すると言えるのかもしれません。
会社に就職することを前提とするならば、CM制作会社から映画監督を目指すという方法は王道的と言えるでしょう。
ただ自分の表現したい事を軸に映画を撮る自主製作映画監督とは対極的に、人々に求められるものを撮るということを軸に映画を作れる人に向いているルートと言えます。
テレビ(ドラマ)業界で出世する
上述のCM制作会社と似ていますが、テレビ局でプロデューサーやディレクターとしてドラマの演出などに携わり、映画監督としてデビューする方もいます。
担当したテレビドラマがヒットし、映画化が決定した際にディレクターがそのまま映画監督を務めるというパターンもあります。
平川雄一郎
日本工学院専門学校から「オフィスクレッシェンド」というドラマ制作などを手掛ける会社に就職し、その後『世界の中心で、愛をさけぶ』『ROOKIES』『JIN-仁-』など数々のヒットドラマに携わった方です。
映画では『ROOKIES~卒業~』『ツナグ』『僕だけがいない街』などで監督を務めています。
映画監督しての評価は……お察しください。
西谷弘
共同テレビ(フジテレビの子会社)に入社し、その後フジテレビに移籍、大ヒットした『白い巨塔』や福山雅治主演の『ガリレオ』シリーズなどのドラマを手掛けた方です。
映画では『ガリレオ』シリーズの映画版『容疑者Xの献身』、織田裕二主演の『アマルフィ 女神の報酬』などで監督を務めています。
全盛期のフジテレビでヒットドラマを手掛けた西谷監督ですが、『アマルフィ』はかなりヒドイ出来でした。(続編のアンダルシアは良くなっていましたが)
テレビドラマ制作会社に入社→ドラマの演出でヒットを飛ばす→映画監督というルートは、まさにエリートコースと言えるのではないでしょうか。
ただ、このような監督が手掛けた映画はどうしてもドラマっぽいというか、映画というパッケージでは大コケすることも多いです。
このパターンはあくまでドラマの延長線上での作品づくりと言えるかもしれません。
ただし、テレビ局や芸能人と太いパイプを持つことができるという点ではメリットがあると言えるでしょう。
それ以外の方法
上述した以外にも映画監督になる方法はいくつかあります。
例えばアニメ映画監督で言えば、イラストレーターとして色々なアニメに携わりながら、劇場版アニメの監督に抜擢された細田守監督(『サマーウォーズ』など)や、仕事と並行して自主製作アニメ映画を作り続けた新海誠監督(『君の名は』など)がいます。
他には、北野武(ビートたけし)や松本人志(ダウンタウン)のようにお笑い芸人として一定の成功を収めた後に映画監督を務める方や、小栗旬や斎藤工などの人気俳優が映画監督に挑戦する例も増えています。
ハリウッドでは、ハリウッドスターが監督になりがちです。(ジョージクルーニー、トムハンクス、シルベスター・スタローンなど)
大学や専門学校に行く必要は?
映画監督になるには必ずしも大学や専門学校に行く必要はありません。
しかし、自主製作映画を作る仲間を集めたり、映像制作会社に就職するためには大学や専門学校に通うメリットがあると言えるでしょう。
映画が学べる大学
日本大学芸術学部(いわゆる日芸)、大阪芸術大学、武蔵野美術大学など映像学科を設けている大学が有名です。
ですが、映像学科でなくても映像研究サークルなどに所属して映画製作に励んだ人も多いです。
日本映画大学という映画だけに特化した大学も存在します。
映画が学べる専門学校
日本工学院や東京ビジュアルアーツといった専門学校にも映画学科があります。
講師に業界関係者も多く、在学中に映像制作の現場に携わることができます。
映画監督になる方法のまとめ
実際に映画監督として活躍する方の経験を参考に、映画監督になる方法をご紹介しました。
「俺は天才だ!俺の才能を世間に見せつけてやる!!」というような方や、自分の好きなものをひたすら作りたいという方は自主製作映画を作ってコンテストに挑戦してください。
映像制作の仕事をしながら映画監督を目指したいという堅実な方は、映像制作会社への就職を目指しましょう。
多くの映画監督がそうであるように、映画製作の仲間や就職先を見つけるためにも大学や専門学校に通うことに損はないと言えます。